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1931年、「漁業の生産能率をあげ、経済状態を改善し、社会的地位を高めること」を目的に、桂川(相模川の山梨県での呼び名)周辺の組合員により組織された桂川漁業協同組合。
相模ダム建設による天然遡上の川魚の消失といった時代を乗り越え、現在では、養殖事業や放流事業、釣堀事業、冷凍魚(アユ、ヤマメ、ニジマス)の販売、川魚のつかみ取り体験といった事業を展開しています。
令和5年度には、山梨県内で先進的な農水産業を実践している個人、団体に贈られる「第55回山日YBS農業賞」を受賞しました。
水量が多く、清らかで澄んだ水
良質な藻
低い水温
そんな桂川(相模川の山梨県での呼び名)の鮎は、魚肉が引き締まり、香り高く、形や色も美しかったそうな
江戸時代、上野原の名物として、甲州街道を往来する旅人の間で人気を博し、明治時代に鉄道が敷かれると、日本橋や甲府まで出荷された桂川の鮎
しかし、1940年の相模ダムの建設を機に、天然遡上の桂川の鮎は姿を消すことになります。
当時の桂川漁業協同組合の山口 延勝組合長は、将来を見据え、相模ダムの管理者の神奈川県との交渉の際、金銭の補償によらない、稚魚の現物放流による補償を求めたといいます。
その結果、上野原の地で育てた川魚達が毎年放流され続け、現在にわたり、桂川は釣り人達で賑わいを見せています。
1963年には、川魚で溢れる桂川の姿を残すことに尽力した山口 延勝さんの石像が建てられ、現在でも、桂川漁業協同組合入り口の池畔にて、魚たちの様子を見守っています。
桂川漁業協同組合が管轄する桂川は、関東甲信越屈指の鮎釣り場として知られています。
毎年6月の鮎釣り解禁後は、多くの釣り人で賑わう桂川の様子を見ることができます。