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上野原市ふるさと納税にご協力いただいている「桂川漁業協同組合」さんが、山梨県内で先進的な農水産業を実践している個人、団体に贈られる第55回山日YBS農業賞【農業賞】を受賞しました!
1931年、桂川漁業協同組合は、桂川での漁業の生産能率をあげることを目的に発足。
1936年には、県内でいち早く鮎(あゆ)の放流事業をスタートさせるなど、長期的な桂川の鮎の漁獲高の安定化に向け取り組みを始めます。
しかし、その後、毎年約2,000万匹の鮎が遡上していたと語り継がれる桂川に最大の危機が訪れます。
1938年、神奈川県の県議会で桂川下流における相模ダムの建設計画が可決。1940年にダムの建設が開始されたことに伴い、天然遡上の鮎は桂川から姿を消し、同年まで盛んであった鮎漁に終止符が打たれました。
この難局に対し、当時の桂川漁業協同組合の組合長であった山口延勝さんは、神奈川県に交渉を持ちかけ、一時的な金銭の補償ではなく、川魚で溢れる桂川の姿を残そうと、「100万匹の鮎の稚魚を毎年放流すること」「川魚を自ら育てるための養魚池を建設すること」を求め、覚書を締結しました。
その後も、桂川漁業協同組合は、山口延勝さんの想いを受け継ぎ、神奈川県による桂川河床浚渫工事[しゅんせつこうじ:(ダム建設により流れなくなった)川底の土砂を掘りさらうこと]に伴う桂川への影響に対し、細かな損失状況を調べ、神奈川県と交渉し、協定を締結するなど、かつての桂川の姿を残す活動を続けます。
また、相模ダム建設に伴う交渉と平行して、今日に至るまで、放流事業を続けるとともに、養殖した川魚を販売するなど、桂川の鮎を全国に知ってもらう取り組みも実践し続けてきました。
その結果、現在の桂川は、多くの釣り愛好者が訪れる関東甲信越屈指の鮎釣り場として賑わい、相模ダム建設以前の鮎文化を残し続けています。
上野原市民が誇るべき桂川の鮎文化の歴史、そしてそれを守り続けてきた桂川漁業協同組合さんのたゆまぬ取り組みに、今一度目を向けてみてください。
桂川漁業協同組合ホームページ<外部リンク>