本文
上野原市は、山梨県の最東部で、首都圏中心部から60から70km圏に位置し、東は神奈川県相模原市、南は道志村、西は大月市と都留市、北は小菅村と東京都西多摩郡に隣接しています。
市には、中央自動車道上野原ICおよび談合坂スマートIC、JR中央本線上野原駅及び四方津駅、国道20号、主要地方道四日市場上野原線・上野原あきる野線・上野原丹波山線・大月上野原線があり、首都東京を中心とする関東圏から山梨県への東玄関として重要な交流拠点となっています。
また、地域内を流れる桂川・秋山川・鶴川・仲間川およびそれらの支流によって形成された河岸段丘が住民生活の基盤をなしていて、山岳・段丘・河川が作り出す自然環境は、日照時間が長い等様々な自然の特徴に恵まれています。なお、桂川・秋山川はともに相模川水系であり、神奈川県における主要な水道供給源になっています。
170.57平方キロメートル
上野原市全体マップ
気候は内陸的で、夏冬の寒暖差・昼夜の温度差が大きく、 降雨量が少ないため、四季折々の美しい自然環境を生みだしています。
美しい自然につつまれ、悠久の歴史と文化を誇る上野原市の「上」をモチーフにしています。
オレンジは「暖かな心」、ブルーは「空と清流」、グリーンは「緑豊かな自然」をイメージしています。
(平成17年10月24日制定)
古代律令制における統治体制では、国の下部組織として郡が置かれ、さらにその下に郷がありました。甲斐国(山梨県)には、山梨郡、八代郡、巨摩郡、都留郡の4つの郡が存在し、秋山村および上野原町は都留郡に属していました。
明治時代に入ると、郡区町村編成法や市制町村制の施行等により、明治22年に秋山村が村制を施行、一方、上野原町は、明治時代の初めには20あった村が、明治8年までの合併を経て、昭和の大合併前の8村体制となりました。その後、上野原村の町制施行を経て、昭和30年に8町村が合併し、上野原町が誕生しました。
両町村がそれぞれの歴史を刻む中、平成の大合併が進められ、上野原町・秋山村でも平成15年4月に合併協議会を設置し、新設(対等)合併に向け協議が進められ、平成17年2月13日上野原町と秋山村が合併し「上野原市」が誕生しました。